カープ救った「たる募金」、マリリンも来た 昭和感漂う「県営」球場 第2次世界大戦が終わり、原爆投下後の焼け野原から復興する広島で、プロ野球チームをつくる動きが本格化した。50年に広島カープが結成され、この球場が本拠となった。 親会社を持たない市民球団のカープは間もなく資金難に陥り、選手たちへの給料の支払いも滞った。チーム創設の翌年、市民たちはカープを救おうと「たる募金」を始めた。球場入り口に日本酒のたるを置いて、球団存続に必要とされた400万円を集めた。 そんな経緯もあり、カープファンは熱気を帯びた。 53年4月12日の洋松ロビンス(現DeNA)戦では、左翼ポールに直撃した本塁打の判定をめぐり紛糾。翌13日の朝日新聞朝刊(大阪本社発行版)は「広島で野球ファン騒ぐ」の見出しで、「ファンは問題のポールを引抜いてベンチ前に持込み、警官との間にポールを奪い合うなどの混乱を続け……」と報じている。 また、この頃の「県営」には世界的スターもやってきた。米国の俳優マリリン・モンローが54年2月、新婚旅行で広島へ。夫で大リーグ・ヤンキースの名打者、ジョー・ディマジオがカープの選手たちへ指導するために球場を訪れた。 (全文はリンク先) ・県営球場にマリリン・モンロー夫妻が来た頃は、広島は盛り上がった様だ。旧広島市民球場は色んな話が有ったが好きな球場だった。